元横綱(年寄)照ノ富士親方の年収&プロフ【ぐるナイ】

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 こんにちは、ビタミンです。

 今年、大相撲を引退し年寄り照ノ富士になった元横綱照ノ富士さんが、引退後初のバラエティー番組に登場されました。

 今回は、相撲の名門伊勢ケ濱部屋の次期後継者として期待が高まっている照ノ富士親方について、年寄りになってからの年収がどうなのか気になって調べてみました。

  • 年寄り・照ノ富士親方の年収
  • 元横綱(年寄り)照ノ富士親方のプロフ

 それでは、早速見てみましょう。

年寄り:照ノ富士親方の年収

年寄りの階級と報酬

 ちなみに、日本大相撲協会に所属する年寄りの階級は、大きく分類すると

  •  理事(定員10~15名、任期2年、再任可)
  •  理事長・副理事長(理事長は、理事会の互選、副理事長は年寄りによる選挙で選出)
  •  委員・主任・役員待遇委員(理事長が任命、任期は1年)
  •  参与 (再任用の年寄り、最長で5年間、65歳から70歳まで、協会に在籍可)
  •  無役(役職のない平の年寄り)

となっています。

 年寄りの階級別の報酬については、それぞれの階級(役職)別に日本相撲協会寄附行為施行細則 第八章 第七十四,七十五条で規定されています。

 日本相撲協会の年寄りで最高の年収を取るのは理事長の2,147万円で、最低の平年寄りでも、年収は1,235万6千円となり、その差は1.7倍になります。

 引退後の照ノ富士は、引退後の5年間は特別に現役時の四股名で年寄りになれる横綱特権の規定により、日本相撲協会の「委員待遇年寄」に位置付けられているので、上から3番目、下からも三番目のちょうど真ん中の階級の一番下の役職になります。

照ノ富士親方の年収

 照ノ富士は、委員待遇年寄なので、基本的に、委員の報酬が適用され、

  • 月給     100万1千円  (年額 1201万2千円)
  • 減額賞与   200万2千円
  • 場所手当   60万円(年3回、20万×3)
  • 年寄名跡金  60万円(5万円×12回)
  • 在勤手当   18万円(1.5万円×12回)

となり、合計で年の報酬は1,539万4千円となります。

 一般のサラリーマンであれば、まあまあの高給取りになりますね。

 この他に、照ノ富士には後援会組織がついているのでそこからの収入と、そして今回「ぐるナイ」に出演したようにタレント活動等での収入が見込まれることから、少なく見積もっても、年収は数千万円以上となり、現役時代の貯えと今後の収入で、親方としての活動を賄うので、この年収が、その役職や地位にとって多いのか少ないのかは素人では判断できないところですね。

 さすがに、横綱時代の年収とされている1億円越えとはいかないようですが、それでも、現在33歳の照ノ富士が、定年までの32年間と、参与としての5年を合わせた通算37年を協会で活躍すると、6億から7億円位の報酬を受けることになります。

 ちなみに、力士の平均引退年齢は、31歳と言われているので、仮に平年寄りで退職したとしても、32歳で年寄りになり、定年の65歳まで協会で勤め上げれば約4億円の報酬が得られることから、これまで、年寄り株が1億や2億の高値で取引されているとの噂も、まんざら根拠のない話ではないようですね。 

元横綱(年寄り)照ノ富士親方のプロフ

照ノ富士親方の基本情報

 照ノ富士の基本情報は、以下の通りです。

四股(しこな)名照ノ富士 春雄
本名(モンゴル名)杉野森 正山(ガントルガ・ガンエルデネ)
生年月日1991年11月29日(33歳)
出身地モンゴル ウランバートル市
初土俵2011年5月
入幕2014年3月場所
通算戦績523勝 275敗 231休(82場所)
優勝歴10回(幕内優勝)
引退2025年1月場所
所属部屋伊勢ケ濱部屋
最高地位第73代横綱

照ノ富士親方のプロフ

学生時代から入門まで

 モンゴルで生まれた照ノ富士親方は、17歳まで運動はしていませんでした。意外ですが、その後、元横綱白鵬のお父さんに見出されて、モンゴルでは柔道をしていました。

 親方が大相撲を知ったのは、2007年に観光のために来日した時です。

 たままた大相撲関係者に声を掛けられ見学した相撲の稽古に惹かれてして、日本に滞在した期間は、目的の観光をしないで連日相撲部屋で稽古を見学しました。本当に、相撲が好きなんですね。

 それから2年後の2009年には、遂に念願の鳥取県の鳥取城北高校への相撲留学を果たし、必死に稽古に励んで、インターハイで団体優勝するなどの活躍をしました。

 本来、照ノ富士の学力非常に高く、来日前に地元モンゴルでは飛び級をして大学に合格していましたが、どうしても相撲を取りたくて来日し、更には高校卒業を待ちきれず2010年に間垣部屋に入門して、「若三勝」の四股名で角界にデビュー(入門)した程、相撲が大好きたったからこそ、その後の活躍や、復活劇があったのでしょうね。

 まさに、好きこそものの上手なれ…、といったところでしょう。

入門後、大関から序二段に陥落するまで

 順調に角界に入門した照ノ富士でしたが、いきなり、試練が訪れました。

 それは、所属していた間垣親方の健康不良が原因で間垣部屋が閉鎖となり、仕方なく照ノ富士親方は伊勢が濱部屋に移籍することになったのです。

 ただ、その移籍先の部屋は、稽古が厳しいことで有名だったことから、照ノ富士はかなりビビッて新しい部屋に移ることになりました。

 人間万事塞翁が馬と言いますが、その後稽古環境が変わったことで、結果的に照ノ富士の才能が大きく花開き、新十両に昇進したと同時に、四股名も「照ノ富士」に変わることになりました。

 この四股名の由来は、6代目伊勢ケ浜親方の「照国」の「」と、師匠の9代目伊勢ケ浜親方の「旭富士」の「富士」名前にちなんだもので、まだ新十両になったばかりの力士にこの四股名を付けたということは、当時の伊勢ケ濱部屋の照ノ富士に対する期待の大きさがよく分かりますね。

 その期待に応えて照ノ富士は、とんとん拍子で番付を上げていき、2015年5月場所で幕内最高優勝をして、翌7月場所からは新大関として相撲を取りました。

 しかし、世の中、そんなに甘くもなく、その後の照ノ富士は膝の怪我があり、2017年9月場所の成績で大関を陥落することになりました。

 その後も膝の怪我と持病の糖尿病の悪化が原因で番付を下げ続けて、最終的に序二段まで番付を下げてしまいました。

 当時の照ノ富士の膝の状態は、洋式便器にも座れないほどで、親方自身は相撲を諦めてモンゴルに帰郷して別の仕事を探そうと、何度も師匠の9代目伊勢ケ浜親方に申し出ました。

 ところが師匠は、「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」と言って、廃業を許してくれなかったために、照ノ富士親方は、結果的に関取復帰に向けた努力を続けることになりました。

 復帰に向けた照ノ富士の努力も凄いですが、照ノ富士の能力を見抜いて、彼を励まし続けた師匠の伊勢ケ浜親方の眼力と、愛情の深さはまさに、師匠!と呼ぶにふさわしいものですね。

序二段から横綱まで

 病気と膝のリハビリに励んだ照ノ富士は、2019年11月にやっと相撲が取れるまでに回復しまいた。

 2020年1月場所には関取として十両に復帰し、5月場所には幕内復帰を果たし、7月場所では5年ぶり2回目となる幕内最高優勝を果たしました。

 この時の優勝表彰式には、師匠の9代目伊勢ケ浜親方と共に土俵に上がり、親方の目に涙がにじんでいた姿に、照ノ富士と師匠の9代目伊勢ケ浜親方の絆の深さが現れており、私を含めた多くの相撲ファンの胸を熱くさせた出来事となりました。

 その後も、照ノ富士の快進撃は続いて2021年3月場所には3度目の幕内最高優勝を果たすと同時に、大関復帰を果たし、2021年5月場所は、4度目の幕内最高優勝を連覇という形で果たしました。

 そして翌7月場所では14勝1敗の成績を上げて、場所後の横綱審議委員会で第73代横綱となることが決まりました。

横綱として、引退まで

 横綱昇進伝達式での口上は、「謹んでお受けいたします。不動心を心がけ、横綱の品格、力量の向上に努めます。」でした。

 その言葉通り、照ノ富士は、その後も膝の怪我と糖尿病との戦いに明け暮れ、体調不良による休場回数こそ多かったものの、いざ、場所に出た際は、満身創痍の姿をさらしながらも、全力で横綱としての責任を果たし、自身の目標であった通算二けたの幕内最高優勝の目標を果たし、多くの相撲ファンに感動を与えた名横綱になりました。

 しかし、通算10度の幕内最高優勝を果たした照ノ富士ですが、2025年の1月場所ついに力尽きて、5日目から休場し、横綱在位21場所目で13回目の休場となった翌日に、現役引退の発表がなされました。

 引退会見で照ノ富士は、自身の限界を知ってこれ以上土俵に立つべきではないと判断したと語り、師匠の9代目伊勢ケ浜親方も大関から序二段に陥落して横綱にまでなった照ノ富士の精神力を大絶賛して、その労をねぎらった様子も、大相撲ファンの心を熱くしました。

年寄りとして

 引退後の照ノ富士は、引退後5年間は現役時の四股名のままで年寄りになれる横綱特権の規定により、日本相撲協会の「委員待遇年寄」になりました。

 そして、現在は所属する伊勢ケ濱部屋の親方として、後進の指導にあたっており、来年定年が予定されている師匠の9代目伊勢ケ浜親方の後継者として、今後とも大相撲会で活躍することが期待されています。

まとめ

 今回は、4月10日木曜日午後8時から放送の「ぐるぐるナインティナイン」に、横綱引退後初めてバラエティー番組に出演される年寄りの照ノ富士の年収について調べてみました。

 今回分かったのは、

  •  横綱時代は1億円を超えていた日本相撲協会からの報酬も、「委員待遇年寄」として年間1,539万4千円になった。
  •  年収は、協会からの報酬に加え、後援会からの収入と、自らのタレント活動等による収入を加えると数千万円以上になる。
  •  定年後、5年間の再任用期間を日本相撲協会で過ごすと、70歳までの今後37年間の報酬は6億円から7億円位になる。

ことが分かりました。

 通説では、来年協会を定年退職する第63代横綱で9代目伊勢ケ浜親方の年寄り株を、照ノ富士親方が譲り受けて、第10代伊勢ケ浜親方として、名門の伊勢ケ浜一門を取り仕切り、やがては日本相撲協会の理事や副理事長そして、理事長にもなりえる人材として、協会からも大きな期待が寄席ら得ているところです。

 私も、個人的には、唯々勝負にこだわるだけの品格にかける相撲を続けていた某横綱ではなく、幕の内最高優勝回数の記録こそ及ばないものの、真面目に相撲道に取り組み続けた照ノ富士親方に好意を寄せて応援しています。

 今後とも、照ノ富士や、伊勢ケ濱部屋の力士の方々に声援を送り続けたいと思います。

 最後に、元大関「琴奨菊」関の相撲部屋(秀ノ山部屋)の記事も、よろしければご覧ください。

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