おはようございます。ビタミンです。
昭和の大スター、長嶋茂雄さんの訃報に際し、心からご冥福を申し上げます。
現在、アメリカに拠点をおいてご活躍中の、松井秀喜さんが早朝アメリカから緊急帰国され、午前5時に長嶋邸を弔問に訪れたとNHKニュースで報道されました。
今回は、弔問後のインタビューで、松井さんが語った「ここでは言えませんが、監督と約束したことがありますから…」と語った一言が気になって、今回は、松井さんと長嶋茂雄さんとの約束と、その背景にあるお二人の師弟関係について振り返ってみました。
長嶋茂雄さんと、松井秀喜さんの約束が気になる方は、是非ご覧ください。
松井秀喜と長嶋茂雄との約束
弔問を終えた長嶋邸の前で、松井選手が語った「ここでは言えない長嶋氏との約束」とは、なんでしょう。
野球選手としての松井秀喜さんは、長嶋監督と巡り合い、その薫陶を受けて、野球界を代表する巨人の4番として活躍後、アメリカの最高峰メジャーリーグの名門、ニューヨークヤンキースで活躍し、選手として輝かしい足跡を残しています。
一方、恩師の長嶋茂雄さんは、昭和の時代を象徴する名選手として歴史に名を残しているだけでなく、現役引退後は、巨人軍の監督としても活躍され、巨人軍を何度も日本一に導いています。
となれば、長嶋茂雄さんが、愛弟子の松井秀喜に伝え、約束させたことは、おのずから明らかになりますよね。
NHKのインタビューに松井秀喜さんは、ご自身に多くのことを授けて下さったことに感謝するとともに、はっきりしたことは言えないが、生前の長嶋監督と約束したことがある
としながらも具体的内容は「ここでは今お話しできない」と明言を避けました。
これまで、松井秀喜さんは、巨人軍の監督就任を何度も打診されていますが、読売巨人軍を心から愛する長嶋茂雄さんが、その状態を黙って見過ごしているはずもないでしょう。
であれば、約束を果たす時期は未定であっても、長嶋茂雄さんと松井秀喜さんの間には、
- いずれ、松井秀喜さんが、読売巨人軍の監督に就任する約束が交わされていた
に間違いないでしょう。
ただ、このタイミングでその約束を明らかにすると、現在の巨人軍の阿部監督に対しても大変失礼でしょうし、何より、日本のプロ野球界、そしてマスコミに与える衝撃の大きさを慮って、今回松井秀喜さんは、このような表現で、恩師との約束を披露し、巨人軍監督就任を暗示されたのでしょう。
思慮深い松井秀喜さんが、今できる最大限の長嶋茂雄さんに対する恩返し言葉ですね。
愛弟子のこの言葉の意味を知り、空の上からこの言葉を聞いていた長嶋茂雄さんも、巨人残留を振り切ってMLBに飛び込んでいった最愛の愛弟子との約束が実現する日を、虹の橋の向こう側で楽しみに待っていることでしょう。
長嶋茂雄と松井秀喜の師弟関係
強運を持つ男長嶋が、ドラフト会議で交渉権を獲得
松井秀喜さんが、読売巨人軍に入団したのは、1992年のドラフト会議で指名を受けたことからです。
星稜高校の強打者として注目の松井秀喜さんには、当時4球団からの指名がありましたが、この時、12年ぶりに巨人軍の監督として復帰した長嶋さんが、みずから抽選くじを引いて、見事交渉権を獲得したことで、長嶋さんと松井さんの師弟関係の序章が始まりました。
4番1000日計画で英才教育
入団前の松井さんは、実は阪神の入団を希望していて、巨人がドラフトで交渉権を得たことに困惑のコメントを出していました。
その後、長嶋さんは、直接松井さんに電話を架けて熱いラブコールを送り、阪神ファンの松井さんのハートをつかみました。
本来、巨人軍のフロントは、ドラフト会議で他の選手を指名する予定としていましたが、監督に復帰した長嶋さんの希望により、急遽一位指名選手を松井さんに切り替えたとの逸話も残っています。
それほど、天才長嶋茂雄の眼には、松井秀喜の才能が見通せていたのでしょうね。
松井さんの入団後、長嶋さんは、松井さんに対して「4番1000日計画」とタイトル付けした独自の育成計画を作成し、長嶋さん自ら松井さんに英才教育を施しました。
その甲斐あって、松井さんは代表する強打者に成長し、長嶋さんと松井さんは監督と選手として、共に巨人軍で9シーズンを過ごしました。
メジャーリーグへの移籍
10年目のシーズンでは、巨人軍の監督は、原辰徳さんにかわり、長嶋さんと松井さんの直接的な師弟関係は解消されてしまいました。
そして、その年にFA権を獲得した松井さんは、MLB挑戦を希望し、レギュラーシーズン終了後に、監督や球団代表から慰留され、前監督であり恩師の長嶋とも長時間話し合ったものの、結論を出すことはできませんでした。
結局日本シリーズが終わったタイミングの11月1日に、松井さんはFA権を行使してMLBへ挑戦することを表明しました。
この時、松井さんが語った「最後の最後まで悩んで苦しかった。何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい。決断した以上は命を懸ける」との言葉は、いまでも心に残っている印象深い言葉でした。
一部には、松井のFA宣言を「裏切り者」と批判するファンもいましたが、大半の方は、それまでの松井さんの言動から松井さんのアメリカでの成功を祈る空気が大勢でした。
長嶋茂雄と松井秀喜の師弟関係
NHKのインタビューに対し、松井さんは長嶋さんの存在について
- 一言で言いあらわすのは難しい。
- たくさんの顔を持つ長嶋さんは、それぞれの顔ごとに、いろいろなモノを与えてくれた。
と、長嶋さんの多面性について語り、様々な角度から時々に様々なことを教わってきたと印象を語られました。
また、長嶋さんとの思い出についても、その多面性ゆえに、お二人の、監督と選手時代、監督をやめて以降の現役選手時代、松井選手が引退してからの現在までの時期、それぞれに思い出があるようですね。
まとめ
今回は、長嶋茂雄さん訃報に接し、アメリカから緊急帰国され4日早朝に長嶋邸に弔問に訪れてた松井秀喜さんの、弔問後にNHKのインタビューに応えたコメントが印象的でした。
松井さんは、長年受けた長嶋さんから受けた恩に感謝するとともに、その具体的方法は明らかにされませんでしたがが、生前に二人の間で交わされた約束を果たしたいと語られました。
謙虚で周囲に気配りのできる松井さんですから、ご自身の発言が周囲に与える影響の大きさを考えて、今回このような曖昧な発言となったのでしょう。
ただ、MLBに挑戦する際、長嶋さんの残留の説得を振り切って、大リーグへの移籍を決断された松井さんを、その後お暖かくみ守った師弟関係に、長嶋さんが生前約束していたことは一つでしょう。
松井さん自身も「いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい」と渡米前に発言さ松井さん。
現在、アメリカに拠点をおいて活動されている松井秀喜さん。
松井秀喜さんが、日本に戻る際には、きっと、巨人軍の監督への就任も発表されるのでしょうね。
日本のプロ野球を、そして、読売巨人をこよなく愛した長嶋茂雄さん。
引退時には、「私は今日、引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」名セリフをのこされましたが、今日の松井さんの弔問に際し、長嶋茂雄さんは、松井さんに対し、
- 私は、昨日旅立ちましたが、わが巨人軍は永久に不滅です
と空の上から松井さんに語り掛け、その後で、
- 松井君、君がアメリカで学んだことを、MLBに挑戦する前に交わした約束のとおり、わが巨人軍に戻って、監督として伝えておくれ。
と語りかけたことでしょう。
人格者で義理堅い松井さんですから、他人を押しのけて監督に席を望むことはないでしょうが、全ての環境が整い、その席に臨まれる時が来れば、ミスタージャイアンツ長嶋茂雄さんとの約束を果たしてくだされるでしょう。楽しみですね。
今回は、長嶋茂雄さんのご冥福をお祈りして、この記事を締めたいともいます。
長嶋茂雄さん、長い間お疲れ様でございました。ごゆっくりお休みください。
合唱
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