大阪の万博が始まりました。パリ五輪で、日本選手として大会第1号の金メダリストになった角田夏実選手は、万博開幕初日に会場を訪れたそうです。
パリ五輪では抜群の強さを発揮して金メダルを獲得した角田夏実選ですが、2025年4月20日の第40回皇后盃全日本女子柔道選手権大会には出場予定ですが、6月の世界選手権には出場しないことが決まっています。
パリ五輪で金メダルを獲得した当時の角田夏実さんの年齢は31歳11カ月で、日本柔道史上最年長の金メダリストだったので、いつまで現役を続けていくのかが少し気になるところですね。
間もなく始まる全日本選手権を前に、今回の記事では、
について調べてみましたので、ご覧ください。
それでは、早速見ていきましょう。
角田夏実プロフィール
プロフィール
角田夏実(つのだなつみ)さんは、1992年8月6日に千葉県八千代市で誕生された32歳の女子柔道選手です。
小学・中学・高校時代
角田さんは、小学校2年の時に、地元の警察署で柔道を始めました。
中学2年生の時に出場した全国中学校柔道大会で、初戦の開始早々に一本背負いで負けたことが悔しくて悔しくて、以後は全国大会常連の八千代高校の練習に参加して、高校生相手に柔道の腕を磨いたそうです。
とはいえ、中学で全国大会に出場するだけでも、十分凄いのですが、オリンピックで金メダルを取るような選手は、負けず嫌いも半場無くて、柔道への取り組み方が違うのですね、驚きです。

そして、希望どおりに中学時代の練習先の八千代高校へ進学し、
- 高校2年でインターハイ3位、高校選手権5位
- 高校3年のインターハイ5位
の成績を修めましたが、角田さん自身はこの成績に納得できず、高校卒業後は、ケーキ屋になるため専門学校へ進学する決心をしました。
が、柔道部の顧問に、そんな甘い考えを叱責されて、引き続き柔道の修行のために東京学芸大学へ進学しました。
大学時代・実業団時代
大学では、関節技や寝技に磨きをかけ、2013年の大学3年生で全日本学生柔道優勝大会の女子3人制の部で東京学芸大学チームで優勝、同じ年の全日本学生体重別の女子52kg級で東京学芸チームで初優勝、国体成年女子の部で千葉県チームで優勝しましたが、
- 日本代表の登竜門として位置づけられる講道館杯では5位に止まり
念願の日本代表には選出されませんでした。
また、大学4年生の時(2014年)も国体成年女子の部で2連覇しましたが、右膝を負傷した影響で肝心の
- 講道館杯では初戦で敗退
し、強化選手からも外れてしまいました。
そして、大学卒業後は、柔道で有名な学校法人了徳寺学園の職員になり、実業団の選手としての活躍が期待されたのですが、故障していた膝を手術したために試合出場も叶わず、「クビになる恐怖」と闘い怯える毎日を過ごす中で、意外にも「自分は本当に柔道が好きなのだ」と自覚できた年になりました。
こうして、柔道に対する意識が変わったことで、翌年の社会人2年目(2016年)には、全日本実業柔道個人選手権で2位となり、
- 講道館杯ではついに初優勝を果たした
ほか、国際大会となるグランドスラム東京大会でも、当時高校1年生だった阿部詩を下して初優勝する程に大きく成長したのです。
東京五輪を目指して階級変更
その後も、角田夏実さんの続き快進撃は続きましが、東京五輪の切符をつかむには、52キロ級から48キロ級への階級が有利と考えて階級変更を行い、
- 2019年11月の講道館杯で優勝を果たし、同大会で二階級制覇の偉業
を成し遂げ、東京五輪代表確実と思われましたが、新型コロナの影響で開催が2021年に延期されたために、その後「死ぬこと以外かすり傷」の言葉で有名になった渡名喜風南選手に代表の座を奪われて、結局東京五輪への出場の夢は果たませんでした。
パリ五輪
東京五輪に出場できなかった角田さんは、一時は引退も考えたそうですが、気を取り直して再び柔道に取り組んだ結果、今回は本番1年1カ月前という柔道界では史上最速でパリ五輪内定の切符を掴むことが出来ました。
そして、本番となる2024年7月のパリ五輪では、史上最年長となる31歳11ヶ月でオリンピック初優勝を果たし、団体戦でも準優勝して、11月には勲章(紫綬褒章)も受章されました。
ロス五輪の出場の可能性と結婚観
角田夏実さんは、4年後にロス五輪を控えている現在の心境について、
- 結婚はしたいが、忙しくて恋愛どころじゃない。柔道を続けたい気持ちもあるが、早く結婚して子供が欲しいなと思ったりする。
とその複雑な心境を吐露されています。
現実問題として、仮に現在32歳の角田さんがロス五輪に参加するとなると、
- 36歳まで子供は産めない
ことになるので、角田さん自身も
- 仮に37歳で1人目を出産すると2人目は40歳か考えてしまう。柔道をまだやりたい気持ちもあるし、女性としての人生を歩みたい気持ちもあるし、すごい難しい気持ちです。
と周囲に漏らしているようです。
遅咲きの柔道金メダリストならではの、年齢と出産に関する悩みは、そうそう簡単には解決できそうにありませんね。
まとめ
小学校の頃は、試合で負けて泣いてばかりでいたために、「泣き虫なっちゃん」と呼ばれた角田夏実さんが、数々の挫折を乗り越えて、パリ五輪で大輪の花を咲かせてくれました。
パリ五輪から帰国後は、テレビやイベントなどに引っ張りだこで一躍人気者となった角田夏実さんですが、4年後のロサンゼルス五輪を含めて今後に目指す道についてはまだまだ時間をかけて決めていく必要があるようですね。
仮に、どのような選択を角田夏実さんがしても、引き続き彼女を応援していきたい…、と思わせてくれる、本当に素敵な女性ですよね。
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