こんにちは、ビタミンです。
広島県福山市の広島地方裁判所福山支部でおこなわれた裁判で、モンスターペアレントの圧力に屈する教育関係者が大勢を占めるこの時代の流れに、その潮目を変える可能性がある一石を投じた画期的な無罪判決が示されので、ご紹介いたします。
この判決は、世論に弱腰な警察や検察と違い、何物にも屈しない良心を持った裁判官がまだ日本にも残っていると、教育関係者に希望をもたらす素敵な内容となりました。
それでは早速見ていきましょう。
事件の概要
今回、裁判が行われたのは、広島県福山市で、審理された事件の概要は、
- 2024年5月、福山市内の小学校で、教諭が6年生の児童に注意したところ、児童が教諭の足を蹴るなどの暴行を働いたために、教諭が児童を羽交い絞めにした
事件です。
報道では、何故児童が教諭の足を蹴ったのか、理由が不明で、そもそも教諭が児童に注意をした内容が適切であったのかも分かりませんので、今回は事件発生した原因・動機といった背景部分の考察は省略して、とりあえず、今回の記事では、裁判で
- 足を蹴られた教諭が児童を羽交い絞めにした行為が、刑法第208条の暴行罪に該当するか否かが争われた
事実だけに注目してみました。
判決の内容
報道されている通り、広島地方裁判所福山支部の松本英男裁判官が、
- 足を蹴られた教諭が、児童を羽交い絞めにした事実を認定
したうえで、その行為(有形力の行使)については、
- 問題行動を繰り返していた児童に口頭で指導するため、その場にとどめようとした
と、その行為の目的を認定し、更に、その行為(有形力の行使)の程度について、
- 羽交い締めにした時間は、2~3分程度
と行為を認定し、結論として、教諭が行った「児童を2~3分羽交い絞めにした行為」について
- 法令によって行われた正当な行為だった
として、無罪の判決を出しました。

有形力とは、他人の体に、直接または間接的に物理的なエネルギーの影響を与える行為です。
具体的には、殴る・蹴る・押すが直接的な有形力の行使で、耳元で大声で怒鳴る、相手に向かって物を投げつけるなどの行為は、間接的な有形力の行使とされています。
原則として刑法第208条は、直接暴行を対象としていますが、例外的に、関節暴行を対象とすることもあります。
今回は、児童を羽交い絞めにした行為が、暴行罪に該当する有形力の行使だと訴えられ、裁判官が、暴行罪に該当しない有形力の行使だと結論付けたという事になります。
警察の切ない立場
この事件の捜査が始められた経緯は分かりませんが、一般的には、被害者又は被害関係者が警察に被害を申告したところから警察の捜査が開始されます。
当然ですが、教諭を蹴った14歳未満の小学6年生の児童の行為は、法律上責任能力がないので罪にはなりません。
一方、教諭の子どもを羽交い絞めにした行為は、有形力の行使が認められる以上、暴行の罪の構成要件(罪が成立するために必要な全ての要素)に該当する可能性が出てきます。
このように、教諭の行為に暴行罪が成立する可能性がある限り、警察が「それって、当たり前の行為であり、犯罪ではありませんよ。」と思ったとしても、ぐっと我慢して、「あほらしいな……。そんなん、無罪に決まっているけれども、学校の教諭も大変よね…。」と同情しつつも、事件の被疑者として教諭を取り調べて、検察官に事件送致をしなければならない義務を負っているのです。

刑事訴訟法第189条第2項により、司法警察職員には、犯罪があると思料する場合、犯人や証拠を捜査する義務が課されています。
なので、今回のような事件でも、訴えがあれば被害届を受理して捜査をする義務が生じるのです。
すると、周囲では「あの先生は、暴行の罪で警察に呼ばれて取り調べを受けている。」との噂になり、他の教育関係者の間に、「どんな酷いことをされても、少しでも子供に手を出すと、暴行罪で警察の取り調べを受ける。」との認識が生まれて、結果として警察がモンスターペアレンツの圧力を後押ししてしまうという、切ない状況になってしまっているのですね。

以前は、警察の裁量で、被害届を受理したり、しなかったりする時代がありました。
しかし、一握りの質の悪い警察官の怠慢等で、本来受理して捜査すべき被害届を放置又は握りつぶして、救えた人命が失われるといった不適切な事件等が発生したことから、現在では、捜査に関する法律や規則が厳格に運用されて、警察側に被害届の受理・不受理をする裁量権を原則として認めない現状を招いてしまいました。
そのせいで、捜査の必要のない事案についても全て事件対応するために、本来優先的に捜査すべき事案への対応に遅れ…、といった不都合も生じているようですね。
サラリーマン化した検察
以前は、警察の段階で門前払いしていた事件についても、全て検察に送致される時代となりました。
江戸時代ではありませんが、検察には、略式裁判という、「お前が罪を認めさえすれば、罰金を払うだけで許してやる。」という、検察にとって、些細な事件について、わざわざ裁判の準備をしなくてすませる制度が重宝されているようですね。
本来、略式裁判は、わざわざ裁判までしなくても、事実関係がはっきりしているし、本人も罪を認めているのだから、簡単に裁判を済ませましょう…という趣旨のもので運用されるべきもので、検察官の都合で恣意的に運用されるべき性格のものではありません。

通常、略式裁判は、「略式裁判に応じていれば、罰金だけで済んだのに、下手に否認して本裁判になったがために、反省していないと裁判官から思われて、返って罪が重くなる」といった性格のものだので、略式命令が出され事件が、本裁判で無罪判決をうけたとなると、ある意味、検察の判断に重大な瑕疵があったとされても仕方ない大きな出来事です。
今回、検察が教諭に対して「罪を認めれば罰金10万円で許してやる…」という略式命令を示した理由は、本気で暴行罪になると考えたのか、それとも、裁判をするのが面倒だったので、罰金だけで済ませるという飴をしゃぶらせて、適当に処理をしようとしたのか?
いずれにしても許されない検察の行為(判断)ですが、担当検事や支部長検事が本気で暴行罪と考えたのではなくて、せめて、サラリーマン化した検事が、検事の責務を忘れて横着をして略式命令を出したのが真相であると願いたいものですね。
裁判官の良心とは
最近は、裁判官にもいろいろな考えの方がいて、一部では過去には、収賄やストーカー行為、SNSでの不適切な発言が問題となるなど、弾劾裁判当によって罷免される出来事も起きています。
とはいえ、日本の裁判官には、憲法第76条第3項で定められた
- 裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、 憲法及び法律にのみ拘束される
との「裁判官の良心」が強く期待されており、日本の社会常識を形成する上で、重要な役割を果たしています。
具体的な「裁判官の良心」の要件は、正直・誠実・勤勉の3つです。
この3つの要素を保つことで、
- 裁判官が外部からの圧力に屈することなく、自らの良心に従って公正な判断を下す
ことが可能になるのですね。
今回は、教育現場における子供の対教師暴力問題が黙殺される一方で、過剰とも思える教師による有形力の行使に対する教育現場、保護者、マスコミに一石を投じた判決となったようです。
暴れて教諭に暴力を振るう児童を落ち着かせるためにした2・3分の羽交い絞めの行為を、正当な行為と認めた今回の判決は、心ある教育関係者、保護者の方々に
- 警察や検察があてにならなくても、裁判官は正しい判断をしてくれる
との希望の光を与えたことでしょう。
まとめ
今回は、広島県福山市で、教諭が児童を羽交い絞めにした事件で、罰金10万円の略式命令を受けた教諭が、これを拒否し、正式な裁判で行為の正当性を主張して裁判官に認められた判決について注目してみました。
警察は、仮に無罪が妥当だと思っても、犯罪に該当する可能性がある以上は、全ての事案を検察庁に送致する義務がある切ない立場の組織でしかありません。
一方、検察には、送られた事件を、起訴したり、しなかったりする大きな裁量権があるのですが、警察から送られてくる全ての事件を適正に処理できる程の体制も整えられておらず、ともすると、今回のような軽微な事件では安易に、罰金10万円の略式命令でお茶を濁そうとする傾向も垣間見られてきました。
今回は、骨のある教諭の方が、検察から提示された罰金10万円の略式命令の甘い罠を拒否して、正式裁判で自らの主張を行った結果、日本にいまだに生き残っていた良識ある裁判官の存在によって、教師の行った有形力の行使は、正当な行為と認定され、無罪となりました。
今回のこの判決は、これまでモンスターペアレンツの圧力に屈してきた多くの教育関係者に明るい希望を与える結果となったことに間違いないでしょう。
教諭をかばってくれない警察、効率優先の検察、そんな現状の中、一般の教諭は、モンスターペアレンツとのトラブルを恐れて、問題のある児童のを放置・野放しにしている現状の黙認が一般化しています。
そんな中で、一つ間違えれば、自らが暴行被疑者として罰せられるリスクを負いながらも、毅然と真に子供の成長を願って、必要最低限ん有形力を行使してくれる骨のある教師の存在は、まさに日本の宝といえるものですね。
ただ、今回、無罪判決を受けた教諭の方が、そのような日本の宝となるような方だったのかどうかは全く分かりませんが、とりあえず、今回の判決を出した裁判官には、大いなる敬意をもって「さすが裁判官!」と称えてみたいと思います。
さすが!裁判官!
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