プロ転向後の浅田真央の活躍と、真央を支えた父・母の現在

テレビ

バラエティー番組「沸騰ワード10」(12月13日 金曜 19:00)に、プロスケーターの浅田真央さんが4年ぶりにVTR出演されます。

 前回、松茸王と一緒に松茸を探しにいって収穫ゼロだった悔しさを胸に、4年ぶりにリベンジするそうです。

 浅田真央さんといえば、2017年に現役引退を発表された後、プロスケーターとして、また自らが演出したアイススケートショーを企画するなど大活躍ですが、今回は、そんな浅田真央さんのプロスケーターとしてのご活躍ぶりと、浅田舞・真央という二人のスケーターを育て上げたお父様とお母様について調べてみました。

浅田真央プロフィール

浅田真央のプロフィール

       引用:PR TIMES

 浅田 真央(あさだ まお)さんは、1990年9月25日生れの34歳です。

 身長は163cm、血液型はB型で、星座はてんびん座です。

 学歴は、名古屋市立高針小学校、名古屋市立高針台中学校、中京大学附属中京高等学校、中京大学体育学部体育学科を卒業されています。

 出身は愛知県名古屋市で、お父様、お母様(故人)、お姉さま()さんの4人家族でした。

 職業は、2017年からプロフィギュアスケーターとして活躍中です。

 2024年9月10日までは、ヒーローズマネジメント株式会社とマネジメント契約していましたが、以後は、IMGとマネジメント契約を締結されています。契約の変更についての詳細な情報はありませんでした。

 真央さんの趣味は、ジグソーパズルとレゴ制作で、尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどりさんと、エフゲニー・プルシェンコさんです。

 また、真央さんの現役選手時代の人気は高く、オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の女性部門において、2007年、2009・2010・2011年、2013・2014年で1位となっています。

 言うまでもありませんが、お姉さまも元フィギュアスケート選手で、現在タレントとして活躍中の浅田舞さんです。

浅田真央の選手時代の活躍

 真央さんは、5歳でスケートを始められました。 

 12歳の時には、年齢が足りず特例として出場した全日本選手権で、3回転フリップ・3回転ループ・3回転トウループのコンビネーションジャンプを跳んで、7位入賞したことから、マスコミから一斉に「天才少女」として大きく扱われるようになり、国民的な注目を浴びました。

 2004年にはジュニア女子では、当時女子選手では飛ぶことが出来なかった3回転アクセルを始めて成功させたことから、同世代では向かうところ敵なしの状態になり、ジュニアの大会を総なめにしました。

 2005年にシニアに転向すると、当時の世界女王だったイリーナ・スルツカヤさんを破って、日本選手として、村主章枝さん以来2人目となるグランプリファイナルでの優勝を果たしました。

 そして、2006年トリノオリンピックに出場すれば、金メダル獲得も確実と期待されましたが、結局オリンピック出場は、年齢制限のために叶いませんでした。

 真央さんは、2000年代から2010年代にかけて、2010年バンクーバーオリンピックでは、日本女子史上3人目のメダルとなる銀メダルを獲得し、その他にも、世界選手権優勝3回、グランプリファイナル優勝4回、四大陸選手権優勝3回などの成績を収めています。

 2010年からは、体の成長のスピードにジャンプのタイミングの調整が追い付かず、それまでの全てのジャンプの技術を一から見直すことになりました。そして、世界選手権では2シーズン連続で6位に終わったものの、2013年には3年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得して、その年のグランプリシリーズでは、シングル史上初めてグランプリシリーズ全7大会を制覇した選手となりました。

 そして、真央さんが集大成と位置付けて臨んだ2014年ソチオリンピックでは、6位入賞にと止まりましたが、直後の世界選手権では、3度目の優勝を果たされました。

 そして真央さんは、1年間スケートから離れて充電期間を経たのち、再び競技に復帰されましたが、2シーズンを戦った後に競技から引退されました。

プロスケーター浅田真央の現在

 2017年4月12日に引退会見を開かれた真央さんの、プロスケーターとしての1歩としてのお仕事は、アマチュア時代の2007年夏から、毎年出演しているアイスショー「THE ICE」へのご出演と、タレントとしてのCM出演でした。

 そして、2018年5月からは真央さんが、「全国に感謝を届ける」というコンセプトのアイスショー浅田真央サンクスツアー」を開催して、2021年4月までの3年間で全国各地を回り、全202公演でアイススケートを披露されました。

次に真央さんは、2022年9月からは「過去を超えて進化する」というコンセプトの元、約90分間のノンストップで、新たに柴田嶺さんとペアのカップルを結成してリフトやスロージャンプなどの技も加えたアイスショー「BEYOND」を開催して、2023年7月までの10か月間で全国23か所で全103公演を行いました。

 そして、真央さんんは、2024年6月に、史上初となる劇場でのアイスショーEverlasting33」企画して開催されました。

 このショーと、従来のショーの違いは、開催場所がスケートリンクでなく、劇場であることから、スケートリンクにはない様々な舞台装置を活用した宙づりでの演技を取り入れたり、オーケストラボックスから全ての演目を生演奏で行ったり、演出の幅を大きく広げるものとなりましたが、開催場所が、東京都立川市に整備された多摩地域初の民間運営アリーナのTACHIKAWA STAGE GARDEN(タチカワステージガーデンのみとなりました。

 また真央さんは、自身の夢であったスケートリンクを東京都立川市に建設する計画「MAO RINK PROJECT」を発表し、今年の11月11日に、国際規格のスケートリンクと千人規模の観客席を備えた施設「MAO RINK」をオープンさせました。

真央を支えた父・母の現在

浅田真央を精神面で支えた最愛の母

 真央さんのお母様のお名前は、匡子(きょうこ)さんで、2011年12月に享年48歳で肝硬変でお亡くなりになっています。

 お母様と舞さん真央さんの3人は、3人4脚と称されたほどの仲良しで、真央さんにとって心の支えとなる存在でした。

 お母様は、20年ほど前から肝臓を患っていて、2011年に移植手術が必要になりました。お母様の体に一番相性の良い肝臓をお持ちだったのが姉の舞さんで、舞さんもお母様のためならと、肝臓移植を望まれていたそうですが、お母様がこれを拒否されて、結局、ご主人の敏治さんの肝臓を移植されることになりました。

 しかし、術後の経過は悪く、その年の暮れにお母様は帰らぬ人となってしまったのです。

 グランプリ・ファイナルの出場のためにカナダにいた真央さんは、お母様の容態の急変を知り、大会出場を取りやめて急遽帰国しましたが、結局最期を看取ることが出来ませんでした。
 真央さんは、お母様の死に目に会えなかったことがかなりショックだったそうです。

 お母様は、生前真央さんについて、12歳からケガもあったが、それを乗り越えて試合に出続けていたのが真央の強みだと話す一方で、次のソチオリンピックに向けて、どこかで思い切ってリフレッシュする必要があるなど、つねに真央さんのことを気にかけていました。

 また、全日本ジュニアの大会で、真央さんが1位で、舞さんが2位になり、舞さんの世界ジュニア出場が出来なかったときに、当時16歳の舞さんが、スケートをしたくないといったとこが、お母様にとって一番悲しい思い出だったそうですが、二人がそんな出来事を乗り越えて、姉妹仲良くしている姿が、お母様にとって一番幸せを感じる時間だったそうです。

浅田真央を経済的に面で支えた父

 真央さんのお父様のお名前は、敏治さんで、お母様と違って、真央さんのお父様がメディアに登場することはありませんでした。

 若い頃のお父様は、大阪でナンバーワンのホストになり、その時稼いだ資金で、30前に独立して、ホストクラブや風俗店を経営されて、二人のお子さんをスケートに通わせたそうです。

 一般的に、フィギアスケート選手が一年間にかかる経費は、平均約300万円といわれていますが、浅田家は、二人のお子さんがいたので、年間600万円をスケートのために費やしていたことになります。

 お父様のお店は、いずれも経営は順調だったようですが、それでも、二人のスケート代は大きくて、2005年に真央さんがシニアに転向後、グランプリファイナルで優勝して以降は、スポンサーもついて経済的に楽になったそうですが、もしも、真央さんが優勝を逃していたら、浅田家は破産していたそうです。そこまで、お父様は、真央さんの活躍に、ご自分の全てを賭けていたようですね。

 そして、経済的に少し楽になった時点で、お父様は、自分の仕事でお子さんのイメージを傷つけたくないと考えて、夜のお仕事から手を引かれて、飲食店を開業したり、病院関係のお仕事をされたり、真央さん達のマネージメントをされている等の情報がありますが、飲食店はうまくいかなかったようで、その他の仕事についても、詳細は分かりません。

 お母様が亡くなられてからは、表舞台には立たないものの、お母様の代わりに真央さんに寄り添って、送り迎え等をされていて、真央さんもお父様を全面的に信用され、真央さんの個人事務所から毎月50万円を支給していた時期のあったようです。

 ただ、お父様は、少し感情の起伏が激しいところがあるようで、過去に2回暴力事件で逮捕された経歴があり、そして、2015年に、お母様がお亡くなりになってから親しくなった女性とのトラブルで、暴力をふるってしまい、勤務先の病院で逮捕されてしまう事件を起こしてしまいました。

 真央さんはその時初めて、お父様に、今回を含めて3回の逮捕歴があることを知ったそうで、真央さんは、1年半くらいお父様と全く連絡も取らなかったのですが、現在は、お父様との関係も、少しのわだかまりが残っているものの、一応改善したようです。

まとめ

 プロスケーターに転向された浅田真央さんは、得意のアイススケートを軸にして、これまで浅田真央サンクスツアーBEYONDEverlasting33と、3つのアイススケートのイベントを開催され、また、長年の夢であった国際規格のスケートリンクと千人規模の観客席を備えた施設「MAO RINK」を開催され、プロのアイススケータ―及び実業家として順調にご活躍されています。

 残念ながら、真央さんを精神面で支えてこられたお母様2011年に他界されていますが、経済的に真央さん達を支え続けてきたお父様はお元気でお過ごしのようです。

 当様とお母様が、生前別居されていたこと、お父様が2015年に暴力事件を起こしたことで、一時は音信不通の時期もあったようですが、今日の真央さんが活躍できるのも、少しヤンチャな性格のお父様の貢献度も大きいことから、姉の舞さんも含めて、今後も仲良くしていただければと願うばかりです。

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